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2010年6月

2010年6月27日 (日)

由布市西南大橋  H22/6/27

 懲りずにブッポウソウを探しに行って見ました。

年配の夫婦の先客がいて、帰り際に「ブッポウソウはいなかったよ」といわれたのですが、なにかとんでこないかと、30分ほど待ってみました。しばらくは、ヒナに餌をあげるムクドリしか目に付きませんでした。

 これは、おそらくムクドリのヒナです。橋のトラスの穴にあるムクドリ団地から、あやまって落ちてしまったのでしょう。

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 とつぜん、ムクドリとはあきらかに異なる色の鳥があらわれました。ブッポウソウです。橋を横切り、遠くのワイヤーに留まりました。

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 つがいではないようです。しばらくとどまった後、周辺をうろうろして、どこかへ行ってしまいました。おそらく、橋のムクドリ団地の状況を見に来たのでしょう。

 すると、こんどは、かなり大きな鳥がスギの木の上に留まりました。明らかに猛禽です。しばらく周辺を見回し、羽づくろいをはじめました。これは、サシバですね。ムクドリ団地のヒナが巣立つタイミングを狙っているのでしょうか?先週も、少し離れたところで同じような鳥をみかけましたし、さっきの年配の夫婦もタカのような鳥を見たと言っていました。このあたりを縄張りにしているようです。

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 ムクドリもさかんに警戒しています。

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 サシバが来たので、ブッポウソウの再出現は期待できないと思い、早々と引き上げました。

(Nikon Coolpix P5100 + Vixen GeomaⅡ ED67Sで撮影)

2010年6月20日 (日)

由布市西南大橋  H22/6/20

 毎年ブッポウソウが営巣するという橋を探してみました。多少苦労して、橋は探し当てたものの、ブッポウソウらしき姿は見当たらず、ムクドリがたくさん営巣していました。あいにく雨が降り出したこともあり、早々に引きあげました。

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 ブッポウソウは、ムクドリに追い出されたのでしょうか?

(Nikon Coolpix P5100 + Vixen GeomaⅡ ED67Sで撮影)

2010年6月19日 (土)

賀来神社 H22/6/19

 近所の小学校プールのカルガモは、相変わらず来ています。滞在時間は数分から数十分と短いですが、プール授業の合間の人がいないときを狙ってきているようです。

 ところで、また、賀来神社にアオバズクを探しにいきました。今度は先客がいたので、単刀直入に場所を聞きました。けっこう親切に教えてもらい、見つけることができました。小さいですし、動きや鳴き声はないので、自分では見つけることができなかったと思います。毎年、同じところに営巣に来るらしいです。

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 こちらは、ヒヨドリです。隣の枝で思いっきり威嚇していました。小さいけれども、やはり猛禽なので、敵なのでしょう。

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(Nikon Coolpix P5100 + Vixen GeomaⅡ ED67Sで撮影)

2010年6月 9日 (水)

近所  H22/6/9

 昨日位から、また、カルガモがプールに遊びにきています。きれいな水になっても気にしないみたいです。常時監視しているわけではないので詳細は不明ですが、朝、夕と、30分程度ずつ、来ることが多いようです。

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この写真は、Nikon Coolpix P5100 + デジタンV6で撮りました。このくらいの距離で、狭い窓からの撮影だと、大きなデジスコシステムより、このほうが手軽で融通が利きます。

2010年6月 7日 (月)

沖縄本島  H12/12/30-1/2

 旅行で訪れた、沖縄本島です。

 初日泊まった、高台にあるホテル・ナハテラスです(現在は名前が違うようです)。この当時は、有名なブセナテラスの系列となっていました。しゃれたホテルでしたが、あいにく激しい雨が降っており、あまり楽しめませんでした。

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 ナハテラスの室内です。なかなか洗練されたリゾートホテルの感じですね。

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 これは、東南植物楽園です。沖縄市の近くにあります。この日も荒れ模様で、強風が吹いており、客は我々だけでした。

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 この日は、リザンシーパークホテル谷茶ベイに泊まりました。大きなホテルでしたが、年末で、大変混雑していました。

 残波岬の写真です。この日も、比較的風が強く、風車がフル回転していました。

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 そのまま、足を伸ばし、ネオパーク名護(動物園)に行きました。名護までは、けっこう遠かったですね。写真はサイチョウです。

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 帰りに寄った、那覇空港近くの、エスニックレストラン・アナパです。建物は派手ですが、味は平凡でした。こないだ見たら、別なレストランになっていたようです。

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台湾台北・タロコ  H13/4/30-5/3

  はじめての台湾です。とりあえず、全てガイドつきのツアーを予約しました。

 写真はほとんど全てガイドさんが撮りましたが、女性のガイドさんのためか、必ず人を入れて撮りたがります。そのため、ここに載せられる写真があまりありません。

 写真は、2日目に行った、台北の龍山寺です。この頃は、狭い路地の奥にあり、かなり猥雑な感じでした。現在は再開発され、大きな広場の前にあります。

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 3日目は、飛行機で東海岸の花蓮に行って、東西横貫公路に沿って、タロコ渓谷を見学しました。

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 これは、燕子口です。昔はツバメの巣が沢山あったという岩壁です。

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 これは、タロコでもっと大きい、大理石の崖です。あいにくの曇天で、大理石の光沢は、よく見えませんでした。

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 一番奥の慈母橋まで行って引き返しました。慈母橋から見ると、岩を削った東西横貫公路の難工事がよくわかります。現在でも、途中数箇所で拡張工事を行っていましたが、岩肌にはりつくような竹製の足場で、よく事故がおきないものだと感心しました(おきているかもしれませんが)。

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 このツアーは、かなり時間がきついらしく、ハイスピードで、各地を巡り、日帰りで飛行機で台北まで戻りました。

 おかげで、だいぶ疲れたらしく、夜中に熱を出し、腹を壊して、初めて旅行保険のお世話になりました。次の日は、帰国でしたが、ツアーに組み込まれている免税店めぐりは必須なようです。だるい体、いたい腹を引きずりながら、帰国の時間まで耐えました。これに懲りて、引き回しツアーは敬遠するようになりました。

アメリカ出張  H13/9/9-9/17

 初めてのアメリカ本土であり、2度目の海外出張は、大きなトラブルに見舞われました。非常な不安の中ですごした9日間ですが、貴重な体験でもあります。今回は、911の最中、アメリカで過ごした体験談を語ろうと思います。

<9/9:フェニックス>

 成田を発ったアメリカン・エアライン機は、日付変更線を超えて、サンノゼ空港に到着しました。そのまま、1時間程度の短い乗り換え時間で、急いで国内線にトランジットしましたが、そのときの入国審査が、やけにしつこく、執拗だったので、ツアコンのHさんがあせっていたのを思い出します。ともあれ、2時間ほどの飛行の後、無事、最初の目的地のアリゾナ州フェニックスに到着しました。フェニックスの宿泊地は、アリゾナ・ビルトモアホテルです。あの有名な建築家、フランク・ロイド・ライトが建設に関わった由緒あるホテルです。

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 ホテルの駐車場からは、赤いアリゾナの岩山が見えます。まさに、砂漠地帯に来た感がありますね。

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 砂漠でもドバトはいます。

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 この日は、平穏無事に過ぎました。

<9/10:フェニックス>

 目的の、American Council of Independent Laboratories(ACIL)の総会初日は、淡々と始まりました。アメリカでは、試験所認定が話題になっており、NELAPといわれるアメリカ独自の認定を中心に、さまざまな発表がなされていきます。英語だけの会議は久しぶりで、ときどき隠れて辞書を引いていたら、隣の紳士が丁寧に教えてくれました。後で聞いたら、ACILの副会長でした。

 会議の後は、レセプションです。我々、日本からの訪問団は、ここで紹介を受けました。そのレセプションで頂いた、ワイングラスです。ACILの名前と日付入りです。

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 一番下に、september 8-12 2001 と書かれているのが分かりますでしょうか?10日までで中止になったので、幻の日付になってしまいました。

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 レセプションは、2次会に突入し、ヒューレット・パッカード社の社員が弾くジャズピアノに合わせて、皆踊ります。盛り上がった2次会は、12時をすぎても収まる気配はありませんでした。

<9/11:フェニックス>

 時差のせいか、なかなか寝付けず、パソコンなどを引っ張り出して、出張報告を打ち始めました。朝の4時すぎまで打ったのち、さすがに疲れたので、テレビを見ながら横になりました。テレビではニュースを流していましたが、6時過ぎくらい(正確な時間は忘れましたが)に、突然、画面が切り替わり、煙を上げるワールド・トレード・センターが映し出されました。なんだ、火事かと思っていると、まもなくもう一つのビルに、旅客機が突っ込みました。その瞬間、興奮した声で喋っていたアナウンサーが、一瞬絶句したのを覚えています。とんでもないことが起きたなと思っていると、ニューヨーク中がパニックになっている様子が、つぎつぎと映し出されました。そのときは、とりあえず、アメリカに来ていることを伝えている両親(海外旅行経験無し)には、無事であることを伝えたほうがよいと考え、両親に電話し、「ニューヨークからは数千キロ離れているので大丈夫」と伝えました。それからしばらくテレビを見た後、朝食に降りていくと、ツアコンHさんと主催者が真剣な面持ちでロビーに座っていました。ロビーの雰囲気も騒然となっています。空港が閉鎖されて身動きが取れないとのこと。ACILの会議場に行くと、皆そわそわして、落ち着かない様子です。聞けば、参加者には、ニューヨークに本拠をもつ会社も多いとのこと。しばらくすると、会議の中止が告げられ、早々にお開きになりました。疲れていたので、とりあえず、部屋に戻って眠りました。下の写真は、そのときのプールです。このような状況でも、日光浴をする人はいました。

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 午後になると、とりあえず、予定されていた観光はしようということになりました。日系人のガイドKさんが、「今回の米本土攻撃は、真珠湾以来とのことです」との説明をしました。アメリカ人の目からすると、そうなのでしょう。なお、市内は、空港を始め、観光予定だった州議事堂等、おもな公共施設はすべて、テロの危険性ありとして閉鎖されていたため、郊外を主として観光しました。

 これは、グランデール市の岩山です。このような岩山があちらこちらに散在しています。なお、この近くに、ゴルフで有名なスコッツデールもあります。

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 アリゾナの住宅地です。ガイドKさんに言わせると、「アメリカ人は郊外に住みたがる」そうで、このようなだだっ広い土地が住宅地だそうです。

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 ここらへんは、ローハイドの舞台となったところで、銅像があります。ステーキレストラン・ローハイドの前にありますが、レストランは閉まっていました。砂漠の暑さで、昼間は閉店し、涼しくなった夕方からひらくそうです。

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 これは、バンク・ワン・ボールパーク、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのホームグラウンドです。この年は好調で、確かプレーオフを勝ち進み、全国優勝したと記憶しています。

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 この観光の間も、ツアコンHさんは、当時珍しかった国際携帯を肌身離さず、日本の本社から情報を入手していました。大変だなあと感じました。

<9/12:フェニックス>

 日が変わりました。今日は、本来でしたらサンディエゴに向かって発つ日ですが、空港が閉鎖されているため、身動きがとれません。そこで、ホテルの中を見学しました。これは、サグアロサボテンのステンドグラスで、フランク・ロイド・ライト作です。東京の帝国ホテル旧建物から移設したそうです。

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 午後は、グラウンドゴルフと、ショッピングを行いました。夜は、会議に出席していた日系人の会社社長から薦められた、日本食レストラン「アヤコ・オブ・トーキョー」に行きました。おいしかったですが、米国の、日本食レストランがほとんど鉄板ヤキなのは、なぜでしょうか?

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 ところで、相変わらず、飛行場の閉鎖が解ける気配は無く、スケジュール的にも、サンディエゴに向かうことは絶望的となりました。しかしここで、次の目的地のラスベガスに向かっておかないと、我々は規定日に日本に帰ることもできなくなります。そこで、皆で相談した結果、ミニバスをチャーターして、陸路ラスベガスに向かうことになりました。

<9/13:ラスベガスへ>

 ラスベガスに行く日の朝です。ホテルの軽食レストランでは、人間たちの混乱を知らないスズメたちが、のどかにパンくずを漁っています。

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 ラスベガスにも、順当に行けるかわからない部分がありました。最大の問題点は、途中のフーバーダムがテロ警戒で閉鎖されているといううわさがあったからです。ここが通れないと、広大なコロラド川にかかる橋が少ないため、2~3時間迂回せねばなりません。そこで、早朝8時と速めに出発しました。約300km強、順当に行っても、6時間程度所要する旅です。

 砂漠地帯の旅とのことで、1人ペットボトル2Lの水を購入して旅立ちました。この地方では常識だそうです。

 フェニックスの郊外に出ると、ひたすらサボテンばかり、次にはアダンのような植物ばかりと、単調な風景がつづきます。1時間もすれば飽きました。

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 途中のドライブインで一息入れつつ3時間ほど走ると、ようやくI40ハイウェイに出ました。ルート66の後継のハイウェイです。

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 I40をしばらく走ると、お昼ごろキングマンという町に着きました。人口5千人程度の小さな町です。地元のボロなサニー(内装もはがれていた!)に乗っているおじさんに、どこか食堂はないかと聞くと、写真のメキシカンレストラン「エマズ・マルガリータビレ」に連れて行ってくれました。味はアメリカらしく大味でしたが、4ドル台で、食べきれないくらいの量が食べられました。

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 隣は、銃器店です。つぶれているみたいですね。アメリカらしいですね。

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 陸橋の右下の茶色の看板にはルート66 オールドルートとあります。この街はルート66の沿線なのです。

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 この街を出た後、フーバーダムに向かう道に入ると、電光掲示板に、「大型車のみ通行不可」との文字が。やった!乗用車は通行できるみたいですね。

 また、2時間近く走ると、フーバーダムが見えてきました。でかいですね。

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 このダムでコロラド川を渡ると、ネバダ州、ラスベガスはすぐです。下はラスベガスの高速です。地震のない土地柄、華奢なつくりですね。

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 マッカラン国際空港の近くにあるホテル・アラジンに向かう途中に見ると、飛行機がとんでいるではありませんか!なんとか日本に帰れそうです。しかし、帰る時に乗るのは、テロでビルに突っ込んだ会社の飛行機です。一抹の不安がないわけではありません。

 ラスベガスの夜景です。ホテルミラージュですね。火山の噴火ショーは自主規制で止めていました。そういえば、キングマンのおそらく町役場に掛かっていた巨大な星条旗は、半旗になっていました。テロで喪に服しているようです。

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 ベラッジオの噴水ショーですね。こちらはやっていました。

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<9/14:EPAラスベガス>

 この日は、予定通り、EPA(米国環境省)ラスベガス研究所を訪ねました。こんな砂漠の中に研究所があるのは、ネバダで過去に行われた、地下核実験と関係しているようです。現在は、放射線以外にも、一般的な環境汚染研究も手がけています。

 EPAのB氏は、多忙な上、このような非常事態下でも、頻繁にかかる問い合わせの電話の間を縫い、我々を快く受け入れ、非常に丁寧に応対してくれました。日本人であるB夫人も、慣れない専門用語を繰りながら、通訳していただきました。

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 午前の講義の後、午後は見学しました。環境の研究所らしく、粉じん等の測定機器がならんでいます。星条旗が半旗になっていますね。

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 品質保証実験棟です。

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 この夜は、ステーキで有名な、ローリーズ・ プライム・リブで食事しました。私は、結構大食なほうですが、控えめの量のイングリッシュ・ステーキを頼んで、やっと食べきれた位でした。(他の人は残しました)

<9/15:グランドキャニオン>

 あせっても、16日まで帰国の飛行機はありません。今日は、自由行動の日なので、グランドキャニオンに日帰り旅行することにしました。ビジョンエアー社の小型機で行きました。日本語案内のテープも付き、後日乗ったシーニックエアーより良い飛行機でした。女性のパイロットとの記念写真も付きました。

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 飛行機は、ラスベガスの上空を旋回しつつ、しだいに高度を上げていきます。

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 50分ほどで空港につくと、そこから30分ほどバスで走り目的地につきました。

 グランドキャニオンはこんな感じです。幅30kmはあるそうですが、広すぎて実感がわきません。

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 場所を変えて見ましたが、やはり同じです。

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  帰り、バスを待っていると、「バスが故障したから1時間強待ってほしい」とのこと。あとで考えてみたら、テロで客が少ないので、おみやげ屋に寄らせようとしたのだと思います。

 帰りの飛行機です。小さい割に、あまり揺れませんでした。

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<9/16-17:最終日の朝>

 さて、最終日の朝です。ビルに突っ込んだ飛行機と同じ会社に乗るので、帰れる期待と、もしかしたら同様の目に逢うかもしれない不安でいっぱいでした。

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 飛行場は、テロのためか、非常にすいていました。飛行機の乗車率も、後方席は半分以下でした。すいているにもかかわらず、乗車すると、1時間弱も「名簿チェックのため」、またされました。ブラックリストと照合しているようです。成田に着陸するまで、何がおこるか不安でした。ツアコンHさんは、疲れ切った表情で寝ていました。しかし、何も起こらず無事到着しました。

松山  H13/12/30-H14/1/1

 フェリーに乗って松山までいってきました。これは、伊予鉄市内線(路面電車)の坊ちゃん列車です。煙をはいていますが、実際にはディーゼル駆動で、路面電車の路線を走ります。転車台がないため、終点につくと、若手の駅員が数人がかりでジャッキで持ち上げ手動で方向転換します。

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  これは、機関車を製作した所です。「さすが」と書いてありますね。

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 これは、道後温泉の建物です。柵に白鷺の飾りがありますが、この湯の発見の逸話に、白鷺がからんでいるそうです。

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 帰りの、佐田岬半島にある、伊方原発の付近です。非常に風が強いですね。風力発電もしていました。

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シンガポール  H14/5/1-5

   2度目のシンガポールです。このときは、キャンペーン中で比較的安かったので、グランド・ハイアットに泊まりました。低層階でしたが、コロニアル風の由緒あるつくりの部屋で、リゾート気分を味わいました。(今はリニュアルして、けっこう値段が高くなっていますね)

 2日目には、国境を越えてみたくて、ジョホール・バルへのバスツアーに参加しました。シンガポール市内から、ラン園を経由し、計30分ほどはしると、もう国境です。ジョホール水道の先に、マレーシアのジョホール・バルの街が見えますね。

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 国境のゲートは大変な混雑です。観光バスは別枠らしく、速く通過できました。但し、乗ったまま出国手続きはできないらしく、いったん降りて、窓口まで歩いていきました。 国境を渡るコーズウェイは橋ではなく、築堤でした。

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 これは、博物館に行く途中にあった、ホーカーズ・センター(屋台街)です。マレー語でメダン・ジェレラ・スンゲイ・チャットと書いてあります。チャット川屋台街といったところでしょうか?

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 これは、マレー民俗村(カンポン)での、踊りのショーです。けっこう慣れた感じでそれなりに面白かったのですが、音楽が電子音楽なのが残念でした。なぜか、スキヤキ・ソングも演奏しました。

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 昼食は、ジョホール水道に面したホテルで食べました。窓から見えるのは、船の形をしたレストランです。バイキングでしたが、面白い料理が多く、楽しめました。

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 次の日は、いつも行くジュロンバードパークです。入り口の放し飼いインコが迎えてくれます。

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 今回は、オールスターバードショーを見ました。まずは、インコの飛翔環くぐりショーです。

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 次は、アヒルの餌やりトークです。司会のテンポが良くて楽しめますね。英語がもう少し分かると良いのですが。

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 こんどは、観客も入れた、インコの飛翔ショーです。けっこう色々出し物があり、楽しめました。

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 最後に、オシドリ(マンダリン・ダック)を見ました。提供は、「マンダリン・オリエンタル・ホテル」だそうです。そういえば、鷹の提供は、富士フィルムでした。「富士・鷹・なすび」にかけたシャレでしょう(日本人にしか分からないでしょうが)。

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 最終日には、チャイナタウンに行きました。シアン・ホッケン寺院です。技術士の試験を受ける予定があったので、記念に受験お守りを購入しました。おかげさまで、試験には合格しました。

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 チャイナタウンのモスクです。街中になにげなく建っているので、見過ごすところでした。テレビアンテナが、生活感を醸し出していますね。

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 ハイアットホテルのプールです。残念ながら、雨が降り出し、プールサイドでゆっくりできませんでした。今夜おそくに帰国しなければなりません。

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 今回は、エコノミークラスでしたので、最終日の深夜発の帰国便を、空港内の硬い椅子で待たねばならず、大変疲れました。H21年のシンガポール旅行記にも書いたように、帰り片道だけでもビジネスクラスにすれば、もっと快適に旅行できます。

仙台  H14/6/1-3

 恩師の退官記念講演に、仙台に行ってきました。講演は、秋保温泉で行ったのですが、ついでに、青葉城と松島を見てきました。

 松島です。けっこう暑かったです。

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 これは、松島の近くにあった石仏です。由来は忘れました。

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 ここは、瑞宝殿です。伊達政宗のお墓ね。

 

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 瑞宝殿の中の善応殿です。紋様は鶴でしょうか。

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