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2010年6月 7日 (月)

アメリカ出張  H13/9/9-9/17

 初めてのアメリカ本土であり、2度目の海外出張は、大きなトラブルに見舞われました。非常な不安の中ですごした9日間ですが、貴重な体験でもあります。今回は、911の最中、アメリカで過ごした体験談を語ろうと思います。

<9/9:フェニックス>

 成田を発ったアメリカン・エアライン機は、日付変更線を超えて、サンノゼ空港に到着しました。そのまま、1時間程度の短い乗り換え時間で、急いで国内線にトランジットしましたが、そのときの入国審査が、やけにしつこく、執拗だったので、ツアコンのHさんがあせっていたのを思い出します。ともあれ、2時間ほどの飛行の後、無事、最初の目的地のアリゾナ州フェニックスに到着しました。フェニックスの宿泊地は、アリゾナ・ビルトモアホテルです。あの有名な建築家、フランク・ロイド・ライトが建設に関わった由緒あるホテルです。

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 ホテルの駐車場からは、赤いアリゾナの岩山が見えます。まさに、砂漠地帯に来た感がありますね。

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 砂漠でもドバトはいます。

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 この日は、平穏無事に過ぎました。

<9/10:フェニックス>

 目的の、American Council of Independent Laboratories(ACIL)の総会初日は、淡々と始まりました。アメリカでは、試験所認定が話題になっており、NELAPといわれるアメリカ独自の認定を中心に、さまざまな発表がなされていきます。英語だけの会議は久しぶりで、ときどき隠れて辞書を引いていたら、隣の紳士が丁寧に教えてくれました。後で聞いたら、ACILの副会長でした。

 会議の後は、レセプションです。我々、日本からの訪問団は、ここで紹介を受けました。そのレセプションで頂いた、ワイングラスです。ACILの名前と日付入りです。

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 一番下に、september 8-12 2001 と書かれているのが分かりますでしょうか?10日までで中止になったので、幻の日付になってしまいました。

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 レセプションは、2次会に突入し、ヒューレット・パッカード社の社員が弾くジャズピアノに合わせて、皆踊ります。盛り上がった2次会は、12時をすぎても収まる気配はありませんでした。

<9/11:フェニックス>

 時差のせいか、なかなか寝付けず、パソコンなどを引っ張り出して、出張報告を打ち始めました。朝の4時すぎまで打ったのち、さすがに疲れたので、テレビを見ながら横になりました。テレビではニュースを流していましたが、6時過ぎくらい(正確な時間は忘れましたが)に、突然、画面が切り替わり、煙を上げるワールド・トレード・センターが映し出されました。なんだ、火事かと思っていると、まもなくもう一つのビルに、旅客機が突っ込みました。その瞬間、興奮した声で喋っていたアナウンサーが、一瞬絶句したのを覚えています。とんでもないことが起きたなと思っていると、ニューヨーク中がパニックになっている様子が、つぎつぎと映し出されました。そのときは、とりあえず、アメリカに来ていることを伝えている両親(海外旅行経験無し)には、無事であることを伝えたほうがよいと考え、両親に電話し、「ニューヨークからは数千キロ離れているので大丈夫」と伝えました。それからしばらくテレビを見た後、朝食に降りていくと、ツアコンHさんと主催者が真剣な面持ちでロビーに座っていました。ロビーの雰囲気も騒然となっています。空港が閉鎖されて身動きが取れないとのこと。ACILの会議場に行くと、皆そわそわして、落ち着かない様子です。聞けば、参加者には、ニューヨークに本拠をもつ会社も多いとのこと。しばらくすると、会議の中止が告げられ、早々にお開きになりました。疲れていたので、とりあえず、部屋に戻って眠りました。下の写真は、そのときのプールです。このような状況でも、日光浴をする人はいました。

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 午後になると、とりあえず、予定されていた観光はしようということになりました。日系人のガイドKさんが、「今回の米本土攻撃は、真珠湾以来とのことです」との説明をしました。アメリカ人の目からすると、そうなのでしょう。なお、市内は、空港を始め、観光予定だった州議事堂等、おもな公共施設はすべて、テロの危険性ありとして閉鎖されていたため、郊外を主として観光しました。

 これは、グランデール市の岩山です。このような岩山があちらこちらに散在しています。なお、この近くに、ゴルフで有名なスコッツデールもあります。

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 アリゾナの住宅地です。ガイドKさんに言わせると、「アメリカ人は郊外に住みたがる」そうで、このようなだだっ広い土地が住宅地だそうです。

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 ここらへんは、ローハイドの舞台となったところで、銅像があります。ステーキレストラン・ローハイドの前にありますが、レストランは閉まっていました。砂漠の暑さで、昼間は閉店し、涼しくなった夕方からひらくそうです。

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 これは、バンク・ワン・ボールパーク、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのホームグラウンドです。この年は好調で、確かプレーオフを勝ち進み、全国優勝したと記憶しています。

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 この観光の間も、ツアコンHさんは、当時珍しかった国際携帯を肌身離さず、日本の本社から情報を入手していました。大変だなあと感じました。

<9/12:フェニックス>

 日が変わりました。今日は、本来でしたらサンディエゴに向かって発つ日ですが、空港が閉鎖されているため、身動きがとれません。そこで、ホテルの中を見学しました。これは、サグアロサボテンのステンドグラスで、フランク・ロイド・ライト作です。東京の帝国ホテル旧建物から移設したそうです。

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 午後は、グラウンドゴルフと、ショッピングを行いました。夜は、会議に出席していた日系人の会社社長から薦められた、日本食レストラン「アヤコ・オブ・トーキョー」に行きました。おいしかったですが、米国の、日本食レストランがほとんど鉄板ヤキなのは、なぜでしょうか?

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 ところで、相変わらず、飛行場の閉鎖が解ける気配は無く、スケジュール的にも、サンディエゴに向かうことは絶望的となりました。しかしここで、次の目的地のラスベガスに向かっておかないと、我々は規定日に日本に帰ることもできなくなります。そこで、皆で相談した結果、ミニバスをチャーターして、陸路ラスベガスに向かうことになりました。

<9/13:ラスベガスへ>

 ラスベガスに行く日の朝です。ホテルの軽食レストランでは、人間たちの混乱を知らないスズメたちが、のどかにパンくずを漁っています。

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 ラスベガスにも、順当に行けるかわからない部分がありました。最大の問題点は、途中のフーバーダムがテロ警戒で閉鎖されているといううわさがあったからです。ここが通れないと、広大なコロラド川にかかる橋が少ないため、2~3時間迂回せねばなりません。そこで、早朝8時と速めに出発しました。約300km強、順当に行っても、6時間程度所要する旅です。

 砂漠地帯の旅とのことで、1人ペットボトル2Lの水を購入して旅立ちました。この地方では常識だそうです。

 フェニックスの郊外に出ると、ひたすらサボテンばかり、次にはアダンのような植物ばかりと、単調な風景がつづきます。1時間もすれば飽きました。

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 途中のドライブインで一息入れつつ3時間ほど走ると、ようやくI40ハイウェイに出ました。ルート66の後継のハイウェイです。

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 I40をしばらく走ると、お昼ごろキングマンという町に着きました。人口5千人程度の小さな町です。地元のボロなサニー(内装もはがれていた!)に乗っているおじさんに、どこか食堂はないかと聞くと、写真のメキシカンレストラン「エマズ・マルガリータビレ」に連れて行ってくれました。味はアメリカらしく大味でしたが、4ドル台で、食べきれないくらいの量が食べられました。

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 隣は、銃器店です。つぶれているみたいですね。アメリカらしいですね。

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 陸橋の右下の茶色の看板にはルート66 オールドルートとあります。この街はルート66の沿線なのです。

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 この街を出た後、フーバーダムに向かう道に入ると、電光掲示板に、「大型車のみ通行不可」との文字が。やった!乗用車は通行できるみたいですね。

 また、2時間近く走ると、フーバーダムが見えてきました。でかいですね。

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 このダムでコロラド川を渡ると、ネバダ州、ラスベガスはすぐです。下はラスベガスの高速です。地震のない土地柄、華奢なつくりですね。

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 マッカラン国際空港の近くにあるホテル・アラジンに向かう途中に見ると、飛行機がとんでいるではありませんか!なんとか日本に帰れそうです。しかし、帰る時に乗るのは、テロでビルに突っ込んだ会社の飛行機です。一抹の不安がないわけではありません。

 ラスベガスの夜景です。ホテルミラージュですね。火山の噴火ショーは自主規制で止めていました。そういえば、キングマンのおそらく町役場に掛かっていた巨大な星条旗は、半旗になっていました。テロで喪に服しているようです。

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 ベラッジオの噴水ショーですね。こちらはやっていました。

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<9/14:EPAラスベガス>

 この日は、予定通り、EPA(米国環境省)ラスベガス研究所を訪ねました。こんな砂漠の中に研究所があるのは、ネバダで過去に行われた、地下核実験と関係しているようです。現在は、放射線以外にも、一般的な環境汚染研究も手がけています。

 EPAのB氏は、多忙な上、このような非常事態下でも、頻繁にかかる問い合わせの電話の間を縫い、我々を快く受け入れ、非常に丁寧に応対してくれました。日本人であるB夫人も、慣れない専門用語を繰りながら、通訳していただきました。

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 午前の講義の後、午後は見学しました。環境の研究所らしく、粉じん等の測定機器がならんでいます。星条旗が半旗になっていますね。

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 品質保証実験棟です。

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 この夜は、ステーキで有名な、ローリーズ・ プライム・リブで食事しました。私は、結構大食なほうですが、控えめの量のイングリッシュ・ステーキを頼んで、やっと食べきれた位でした。(他の人は残しました)

<9/15:グランドキャニオン>

 あせっても、16日まで帰国の飛行機はありません。今日は、自由行動の日なので、グランドキャニオンに日帰り旅行することにしました。ビジョンエアー社の小型機で行きました。日本語案内のテープも付き、後日乗ったシーニックエアーより良い飛行機でした。女性のパイロットとの記念写真も付きました。

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 飛行機は、ラスベガスの上空を旋回しつつ、しだいに高度を上げていきます。

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 50分ほどで空港につくと、そこから30分ほどバスで走り目的地につきました。

 グランドキャニオンはこんな感じです。幅30kmはあるそうですが、広すぎて実感がわきません。

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 場所を変えて見ましたが、やはり同じです。

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  帰り、バスを待っていると、「バスが故障したから1時間強待ってほしい」とのこと。あとで考えてみたら、テロで客が少ないので、おみやげ屋に寄らせようとしたのだと思います。

 帰りの飛行機です。小さい割に、あまり揺れませんでした。

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<9/16-17:最終日の朝>

 さて、最終日の朝です。ビルに突っ込んだ飛行機と同じ会社に乗るので、帰れる期待と、もしかしたら同様の目に逢うかもしれない不安でいっぱいでした。

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 飛行場は、テロのためか、非常にすいていました。飛行機の乗車率も、後方席は半分以下でした。すいているにもかかわらず、乗車すると、1時間弱も「名簿チェックのため」、またされました。ブラックリストと照合しているようです。成田に着陸するまで、何がおこるか不安でした。ツアコンHさんは、疲れ切った表情で寝ていました。しかし、何も起こらず無事到着しました。

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